わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

オタクである。ということ。

ちょっと身の回りで掲題のごとく。オタクであるということを考えさせられることがあったので、それを文章にしてみました。多分、最後のほうは暑苦しくなりそうなので、そういうの苦手って方は読まないほうがいいかなと。

 

 

 

実家はマンションなのですが、上の階に、結構年上のオタクの人が昔から住んでいました。というのも、僕がコミケに行きはじめた10年ほど前。我が家はビッグサイトまで自転車で行ける距離にあるため、早朝に自転車で出発するという習慣を続けていたわけです。

 

C69の冬コミだったでしょうか。出発の朝、その人と出会ったのです。マンション内では顔を合わせる程度の顔見知りだったのですが、寒い早朝に、自転車で、しかも大きなリュックを背負って。

 

確実にお互い「あ、この人コミケに向かうんだな」ということが分かりました。

僕は友人と待ち合わせていたため、別ルートだったのですが、別れ際一言、「お互い頑張りましょう」「ええ、健闘を祈ります」と会話を交わした事ははっきりと覚えています。それ以来は、顔を合わすと簡単な会話を重ねるようになり、僕がWFにも参加している旨を伝えると、なんと彼はディーラー参加しているとのことで、ブースに遊びに行くこととなりました。

 

ただ、WF当日。そのブースを尋ねると、不参加となっており、後から急病で参加できなかったことを知りました。残念だなと。それくらいの感慨でした。僕も、実家から引越し、それきりとなっていたのですが、つい先日実家に帰った際、マンションのフロアで偶然その人と会う機会がありました。

 

ちょうどWFの不参加の件もあったので、その際の事も含め、自己紹介から仕事の事まで、初めてちゃんとした会話をしました。するとどうも、原型の仕事をフリーランスで続けていて、もうかれこれ30年、この仕事一本で食べているとのこと。

 

原型として参加した作品は数知れず、それこそ大手メーカーの名前から始まり、かの有名作品のあのシリーズからこのシリーズ。僕が持っていたモノまで彼の手によるもので、唖然としました。これぞ生粋のオタクといった知識と経験から産まれる話に僕は完全に魅了されました。なんという人が上の階に住んでたんだと、正直ここまで会話してなかったことを強く後悔しました。

 

ただ、同時に原型を取り巻く現状の話も聴き、CADデータや3Dプリンタの台頭。1件あたりの単価が安くなっているということも。「やっぱし数をこなさないといけないよね」ここまでの経験と技術を持った人がそう言うのは、なんだか悔しいものを感じました。

 

最後に今後もお話など出来たらと、コンタクトを取れるよう名刺を頂いたのですが、そこには住所と固定電話の番号のみ。SNSはおろかメールアドレスすらない名刺に、また驚きました。この時代にここまでの職人気質なオタクがまだいたのか。と。感動すら覚えました。

 

なんていうか、オタクであることの本質をその人から、改めて教えられた気がして、この文章を書いているのですが、それは、あくまで職人気質だとか古参のが偉いとかそういうことを言いたいのでなく。今、完全にオタク産業というのは、日本において大量消費を望める最後の希望のひとつです。ここでも再三書いている通り、国家までもが賛美するそのコンテンツ産業

 

数多のキャラクターが、商品やコンテンツとなり、それにお金を払うことが、今や自然な世の中となっています。いかにオタクたちがお金を落すのか。それが緻密に考えられ、コストを抑えた製品となり、出荷あるいはリリースされる。フィギュアからソシャゲ、BDからカードゲーム。オタクにとって、ここまで嗜好品が溢れた時代も過去に無かった事でしょう。

 

ただ、そこでふとそこで消費者たる我々オタクが考えなくてはならないこと。果たして、誰がこのコンテンツを支えているんだろうと。このフィギュア、アニメ、コミック、根底で支えている人間がどこにいるのかと。

 

今回の彼との会話の中で、こんな話もありました。

 

「最近は仕上げ作業もかなりこなしているんだけど、いかんせん海外の造形が雑だったりして、釣り目キャラがタレ目になってたり。そういうのを直前で修正するっていう無茶振りもあるよね」

 

 今、ふと感じるのは、オタクがオタクであることは、実に容易な時代で。むしろ「俺は~のファンだ」と広くSNSにおいて主張した方が、コミュニケーションにも繋がったりと、消費者としてのオタクが強い時代です。そのオタクは、キャラを愛好すること、更にグッズを持つことで、自分という存在を改めてアピールする事にも繋げているような印象を受けます。

 

ただ、その自分にばっかり目がいっているオタクを。そのオタクが好きと言えるキャラクター達を、本当の意味で支えているのは誰なんだろうと。ふと強く思ってしまったというのが今回の本質です。

 

SNSなんてものにも目をくれず、日々僕らが好きだと言っているものを淡々と支える仕事をしている彼に、敬意を表さずに居られませんでした。

 

 

確かに経済的な潤滑も必要です。金がなければ、新しいコンテンツも産まれません。ただ、版元も消費者も。それにばかり目線をやっていると、さっきの雑なキャラ造形の話ではないですが、足元の「何が好きだったのか」を忘れてしまうような不安に駆られるのです。

 

せめて、好きなことには誠実に。オタクであるからこそ、川上から川下まで、思いが至るような愛し方をしなければと。改めて自戒も込めて、そのように感じました。時代が変り、尚も変化が激しい今という時期に。そんなアナログなことばかりやってては、キツイだけでしょ。みたいな批判もあることでしょう。ただ、彼の目にはオタク本来の誠実さがあったように感じます。

 

僕はあくまでも、そのオタクとしての在り方に、やはり尊敬の念を抱いてしまうし、しっかりとした技術を持っている人が割りを食うのは嫌だなと思います。

 

なんていうか、力が欲しいなと、そんなことを思ってしまう、青臭い初冬の1日でした。