わがはじ!

めんどいオタクのブログ。同人誌もやってるよ。

最近の雑感詰め合わせ(情報商材・AI絵師・うる星)

6月から週1のペースで続けてきたこのブログも、先週とうとう水曜日であることを忘れ、サクッと飲みに行ってしまったので更新が途絶えてしまった。

 

ぶっちゃけて言えば、更新を忘れるほどに書くことが何もなかったというのが本音である。季節の変わり目という事もあり、日々仕事に行くだけでメンタル左右されまくり。今、落ち着いて文章を書くこと自体、かなりハードルが高い行為だったりする。

 

という事で、今週もその状態が完全回復とはいかず。ブログにするには短いけれど、Twitterで愚痴るには長い。そんな中途半端な事柄を項目ごとに少しずつ書いて、一つの記事にしようという試み。Twitter連投でええやんけ、と思うかもしれないが、あのセルフリプライで延々長文書くスタイルが僕は好きでない。あれ、すげえ読みづらくない?

 

とまぁ、他者への不満話は始めてしまうとキリがないので、ぽつぽつと書き溜めてみたい。

 

・怪しい「情報商材」って何でなくならないのって話。

先日「投稿の冒頭にはこれを付ければバズる!」という名目で情報商材屋さんが掲げたツイートがプチバズ&プチ炎上していた。

 

「あまり言いたくないけど」「厳しい事を言うけれど」とか、目を引く書き出し100選を掲げた画像を上げていて、結局他のユーザーからは「これミュートワードにすれば、情報商材アカウントをシャットアウト出来る」という具合に裏目な形で話題になってしまった話。

 

確かに、こういう書き出しでバズっているアカウントって、名前は「〇〇@投資」とか「〇〇|職業」で、bioを覗けば大体「〇〇年で月収〇〇万円に!」「〇か月でフォロワーが1万人に!」というような感じ。しかも中身は業者が複数アカウントを運営していたりする。多くの人から目の敵にされている存在であるにも関わらず、何だってこう情報商材屋ってものは消えないのだろう、とぼんやり疑問に思っていた。

 

そんな中、ふと去年『ウマ娘』ブームから競馬にハマった時があった。そうすると様々な予想屋YouTubeチャンネルを持っていることを知る。その中には有料情報として、動画以上に精密な予想を課金によって提供するという人もいて。それには「なるほど」と納得すらしていたわけだけれど、思えばそれも立派な情報商材だったりする訳だ。

 

競馬の場合、どれだけ精密な予想を立てたとしても、最後の結果は時の運というのが明の理である。だからこそ、情報に課金をしたとしても、最終的な判断は自分で行うべきという自己責任感が残っていて、むしろ課金に対する納得感も生じる。外れたら不満はあるだろうけど。

 

同様に、ネットでよく見る情報商材屋さんの「投資で儲かる!」「月収が倍に!」みたいな話も、やはり結果は分からないという意味で言えば競馬と同様なのだ。信じるか信じないか、結果が出るか出ないかも、その購入した人次第。

 

加えて、そうした情報商材というのは誰が発言したか、というのがとても重要な要素になる。そこら辺の素人予想よりも、はるかに元ジョッキーとか、競馬専門紙の着順予想に価値があるというのは当然だろう。

 

だからこそ、Twitter情報商材屋さんは相性がとてもいい。特に現実において何か実績がなかったとしても、相互にフォロワー関係を密に構築し、RT・いいね!を増やす事で「〇万フォロワー、バズ連発のカリスマ」にすぐなれるわけである。そりゃあ、Twitterからそういうアカウントが居なくならない訳だ。

 

特に何をしていなくとも数の理屈と広がりやすい言説だけで、虚像を作れるのがSNSの良いところではある。

 

そういう事を踏まえると、数というのは信用ならないものだと思う。改めてモノを見る物差しを整えねばなと思った次第。情報商材屋さんという存在が、今のSNSの可能性と虚構性をよくよく示しているなという事を逆に教えてくれた、という話。

 

 

・AI絵師登場に、絵師はモチベをどう保つ?という話。

ここ最近、AIの発展が目覚ましい。特に絵を描くツールとしての可能性は一気に広がったと言っていいだろう。短いセンテンスからスチルが生成されたり、あるいは雑なイメージ絵から、精密な完成図を提供するなど、Twitterを日々眺めているだけでもその可能性には舌を巻いてしまう。

 

そうなると当然の事ながら、普段趣味で絵を描いているような僕みたいな人間は「これ自分が絵を描く意味あんの?」という気持ちになったりする。特に僕のような、筆が早くもなく、精一杯描いた絵がそこまで評価されない事が多かったりすると、尚更「もうAIが描いた方がいいんじゃん」と拗ねたりする始末。現に、少し拗ねている。

 

現時点でも完コピイラストを超え、キャラ専用に特化させたAIも作成出来、好きなシチュエーションを踏まえた二次創作イラストも、現時点で生成可能と思われる。

 

実際に絵を描いて仕事にしている方々は、こんな趣味で描いているような僕以上に様々な思いの丈がある事だろうと思う。同様に絵を描くことに対するモチベーションを失う人もいれば、反面、独自の感性をより磨く事で差別化を図ることが出来ると前を向いている人もいる事だろう。

 

しかし、そんな状況において、人がクリエイティビティを維持する上で重要なマインドセットがある。あくまで、AIは「学習」の枠を超える事が出来ないという事実だ。特に萌えイラスト(死語)というのは、過去から様々なマイナーチェンジを経て今に至っている。その技法が定着し、一般化され、洗練されたことで数多の絵師も存在している。

 

今のお絵描きAIは、シンギュラリティ的な存在というよりその中の一系譜として捉えるべきだろう。逆説的に言えば、今我々が描いているようなイラストはどこまでがオリジナリティを有しているのか、という話でもある。どんな人であれ、かつては好きな絵師や漫画家の絵を模写しながら、今の画力に至ったという事は事実ではないだろうか。

 

詰まるところ、AIがどれほど絵の汎用性を上げた所で、一絵師の登場くらいの感覚でいいのだと思う。だって、神絵師は今だって他に沢山いて、そんな人らを見ていたら底辺絵師である自分は、AI関係なく描く理由をなくしてしまう。

 

上手いか下手か、という価値観ではなく「自分が描けるものを描く」というスタンスについては、これまでも、これからも変わらないのでは、と自分に言い聞かせたついでに、好きな絵師さんには、いつまでも絵を描き続けて欲しいよなと思った雑感です。

 

・『うる星』リメイク楽しみだね、という話。

『うる星』が始まってしまう。これを受けて、という訳でもないけれど、来週13日、おたっきぃ佐々木氏とトークイベントを行うので、是非来てね。

 

 

放映開始日とイベントの日が重なってしまったことで、おたっきぃ佐々木氏の人生を中2で狂わせたという『うる星やつらビューティフルドリーマー』の話題になるだろうと思って、先日10年ぶりくらいに映画をAmazonで見たのだけれど。

 

いや、めちゃくちゃ面白い。こんなに押井押井していたっけ…という感じで、友引高校や諸星家での日々全てを「ラムちゃんの夢ですよ」なんて言われた日には、そりゃあ高橋留美子先生もキレますわ。と再度納得した次第。それにしても、手書きなのに、緻密な作画とぬるぬる動くアニメーションというモノはあの時代ならではの産物だし、恐ろしいまでの傑作だと改めて実感されられた訳で。

 

加えて『うる星』のデジタルリマスターがAmazon Primeで見放題になっているので、早速冒頭1話も拝見。なんていうか「ラブコメ」という言葉は、この作品を語る為にあるのではないか、と思えるくらいに完成度が高い。1話Aパートでは地球崩壊を守るという名目で、あたるとラムちゃんが婚約、Bパートではぼったくり宇宙タクシーの代金肩代わりするという理由から同棲生活がスタートと、全てがナンセンスギャグのように見えるのに、まったく展開に無駄がない。

 

果たして、小学館100周年をも背負う今回の令和の『うる星」はどのパートを放映するのか、そして何クールやる予定なのか…今から楽しみでしょうがないのだけれど、ガチのファン(おたささ氏)に言わせれば、不安が付きまとうとのこと。

 

やはり愛する対象がリメイクというのは一筋縄では受け入れられないもんなんだなと、思いながら来週のトークイベントを楽しみにしておる次第です。オチもクソもないけれど、来週の宣伝ついでに。

 

 

という具合で、気づけばいつも以上の文字数で着地。この手法も書きやすいのだけれど、結局文字数増えてしまって、負担が増えるので次回からは2本くらいがちょうどいいのかもしれない。

 

何とか続ける事を優先にしながら、徐々に冬コミの作業も進めていきたいと思います。一気に寒くなりますが、皆様も健康には気を付けて。今日はそんなところで。